対談:原田幸治 × 高島昌彦

カール・ロジャーズに学ぶ傾聴

この記事は、動画ロジャーズに学ぶ傾聴|原田幸治×高島昌彦を文字起こししたものです。

執筆者:原田 幸治
日本実践コミュニケーション心理学協会講師

約3,000人の受講生と関わってきたNLP™トレーナー™。NLPに対するスタンスは、トレーナーというよりもプラクティショナー(実践者)。実践経験に基づいて「本格的な内容を分かりやすく」説明することを心がけている。

執筆者:高島 昌彦
日本実践コミュニケーション心理学協会理事

航空自衛隊等の心理カウンセラーとして活躍する心の専門家。その卓越した技術と知識をもとに、心理学やコミュニケーションの講座も展開。
数多くのコミュニケーション講師も育てる。

なぜ心理援助の達人にロジャーズを選んだのか?


高島:

日本実践コミュニケーション心理学協会高島です。

本日は、5・6月に東京で開催されます「心理援助者講座中級Ⅱ カール・ロジャーズに学ぶ『寄り添いと癒しのコミュニケーション』」の講師を務める原田幸治さんに、講座の中身について、いろいろと伺っていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。
 

原田:

よろしくお願いします。
 

高島:

まず、対人援助についての話から。

たとえば、カウンセリングを学ぶ方、コーチングとか福祉の方など、「支援的な役割をしよう」「対人援助について学ぼう」とすると、カール・ロジャーズという存在に行き当たる方は多いんじゃないかなと思うんですよね。

『傾聴』とか、『ロジャーズの3原則』といった有名なのもありますし。

一方で、原田さんはNLPトレーナーなので、NLP業界という言い方がいいのかなと思いますが、NLPを学ぶと、今回の達人3人の中で、ミルトン・エリクソンは、まさにNLPの原点という方です。

ですから、エリクソンは、NLPトレーナーが選ぶ心理援助の達人に、文句なく入るでしょう。
アンソニー・ロビンズも、ご自身NLPを学んでいて、セミナーの様子なんか見ると、ずいぶんNLPを活用してるなというのは感じます。
なので、この二人はうなずけるんです。

一方で、僕の中にはカール・ロジャーズは、NLP業界からちょっと遠い存在というか、あんまりメジャーではないイメージがあるんですよ。

なので、心理援助の達人3人の中にカール・ロジャーズという名前が出たときに、ちょっと意外だなとも感じたんです。

心理援助となると、もちろんロジャーズは欠かせない。
一方で、NLPトレーナーがロジャーズを取り上げたぞ、と。

そのあたりで、どうしてロジャーズが、他の二人と共に名前が上がってきたのか。
なぜ原田さんは、ロジャーズを選んだのかというあたりを、まずお聞かせいただけますか?
 

原田:

はい、そうですね。
おっしゃる通りNLPの業界からすると、そもそも、ミルトン・エリクソンから学んだというんでしょうかね。

ミルトン・エリクソン以降の流れで出てきたものとして、エリクソン派と呼ばれるいろんな流派があります。
エリクソン催眠は、エリクソン派の一つです。
NLPも、エリクソン派の一つです。

いわゆるブリーフセラピー、短期療法と呼ばれる人たちもエリクソン派なんですよね。
戦略的アプローチとかもエリクソン派ですけど、ブリーフセラピーに入れていいのかな。

ちょっと派閥の数え方は正確ではないので置いておくとして、エリクソンのやっていたことを踏まえて作られてきたものが、エリクソン派としてたくさんあります。

一方で、ロジャーズのやっていた流れをくんでいる、ロジャーズ派というのもいっぱいあるわけです。

それは、エリクソン派の人たちが多岐に渡るのと同じように、実は、ロジャーズ派もけっこう多岐に渡っています。
ロジャーズそのものの人もいれば、ロジャーズのやり方と、たとえば精神分析をミックスさせたような理論派の人たちもいます。

ということで、ロジャーズ派は、今でもアメリカの心理援助の分野では、それ相応の主流の一つなんですよ。
なので、心理援助という枠組みを考えたときには、ロジャーズはやっぱり大きな存在なんですよね。

ただおっしゃる通り、NLPの人たちからすると、ロジャーズのやってることで一番よく言われるのは、遅い、時間がかかり過ぎると。
積極的ではない、とされているんですね。

エリクソンのほうが積極的に介入していて、ロジャーズのほうが介入度合いが少ないとされている。
積極的に介入して短期間で成果を上げる、というのがエリクソン派の人たちに見られる特徴です。

NLPは、「短期に、早く効果を出す」というところに、他のどのエリクソン派の流派よりも、より重きを置いている感じはあります。


ロジャーズのほうが介入度合いが少ないとされているので、そういう意味では、おっしゃる通り確かにロジャーズは、NLPの人たちからすると、槍玉に挙げられる側なんです。
非難される側に回りやすいわけですよね。

ただ、そこでやっぱり重要になってくるのは、心理援助が何なのかの定義の部分です。

プロとして対人支援をすることだけではなく、ここで言っている心理援助は、むしろお金をもらってする『プロとしての専門的な支援』よりも、人助けとして『苦しんでる人を支える』という部分です。

そういう意味でいうと、アメリカのプロの対人支援をしている人たち。
特に心理的なプロとしてやっている人たちは、どちらかというと、プロに徹している傾向の方が強いです。

専門家でもありますし、ビジネスとしてやってるところもある。
自分を守らなきゃいけないところもあるし、家族の時間も大事。
なので、一線を引いてやるわけですよね。

ですから、「一人の苦しんでいる人のために全力を尽くす」ということはしないです。
 

高島:

たとえば、「人前で緊張しちゃうんです」という悩みを持った人が来たとします。

​NLPだと、『人前に出ると緊張する』というプログラムと呼ばれるものを見る。
そして、そこを何らかの方法で、アンカーを変えるとか、サブモダリティーをいじってとか、いろいろありますが、ともかく『問題となっているプログラムを見立てて、そのプログラムに介入をしていく』というアプローチかと思います。

ロジャーズのほうは、そういう『積極的に問題となってるプログラムを見立てて、そこに介入をする』ではないんですよね?

ロジャーズに対する誤解


原田:

そうですね。
ポイントになるのは、そこの部分です。
あくまでロジャーズがやってるのは、徹底的に心理援助のところ。

だから逆に言うと、今回のこの流れ(心理援助者講座)の定義する「心理援助」「人助けとしての心理援助」「苦しんでる人を支える」という部分でいうと、もうロジャーズはど真ん中の話なんです。

まさに支えるという。
 

高島:

はい。
 

原田:

エリクソンは、どちらかというと、そこは距離を取っている印象がある。
もちろん、ある面一つのやり方として、ああいう心理援助のスタイルもあるんです。

けれどわかりやすく、人のために「人を支えるという意味での心理援助」「人助けとしての心の支えになる」をダイレクトに、一番典型的にやっているのはロジャーズです。

ロジャーズが語っていたこと。
ロジャーズがやっていたことというのは、まさに心理援助のど真ん中という感じですね。

そういう意味で、ロジャーズのしていた心理援助は一番わかりやすく、必要とする人であれば、誰でもやれるようになる可能性があります。

むしろ専門的な知識とか、技術的なトレーニングの量とかは、重要ではないといっていいのかもしれないです。

出会うクライアント全員にこれをやっていたら大変ですけど、身近な誰か、日本で生活してて、どうしようもなく苦しんでる人とたくさん出会うということは少ないと思うので、本当に苦しんでる人であれば、その数少ない人のために『一生懸命、支えになる』というのは、全ての人にそういう機会が訪れる可能性があると思います。

そうなったときに、本当に支えになるやり方はロジャーズそのものなので、それは技術なしで、前置きなしでやれるところだと思うんですよね。
 

ただ、なぜロジャーズを選んだのかという意味でいうと、ど真ん中だということと同時に、そのことが誤解されてるからなんです。

ロジャーズに対する誤解は、日本だけじゃない。
世界的にひどいです。

ロジャーズと同じことをやっているロジャーズ派の人、いないんですから。
ロジャーズのやっていたことをできる人は、ロジャーズしかいないので。

たまに偶然できるときはあるんですけど、ロジャーズと同じレベルで、同じ頻度で、同じ再現性で、どんな人にでもロジャーズと同じことができていた人はいなかったと僕は聞いてます。

実際に(ロジャーズに)会った人から聞いた話ですけど、「ロジャーズはできるんだって思った」と言ってましたから。
 

高島:

その辺り、ロジャーズが来談者中心療法から離れていった理由の一つではある?
 

原田:

あると思われます。
 

高島:

弟子という言い方がいいかどうかわからないけど、学びに来てる人に思いが伝わらないというか…
 

原田:

そうですね。
誤解が広まっていったところはありますね。
ロジャーズ派になっちゃったんです。
 

高島:

影響は今も全世界的に続いてるというのが、ここまでの話ですよね。

ところで、先ほど、積極的というお話が出ていたかと思うんです。
ロジャーズは積極的じゃない。
エリクソンやNLP系の人は、積極的に介入をするというところ。

お話を伺っていて、ロジャーズはロジャーズで、どうも積極的な印象も僕は受けたんです。
「心理援助に積極的」だったのかなと思ったんです。

エリクソンや、エリクソン派の人とかNLPを使う方は、「積極的に問題となっているプログラムに介入をする」というお話かと思うんですけど、ロジャーズはロジャーズで、誰よりも「積極的に心理援助をしていた」方なのかなと。

傾聴が10割


原田:

そうです。
積極的に聴くんです。
だから、アクティブリスニングで傾聴なんです。

けど、ほとんどの人は傾聴してないんです。
傾聴という言葉を聞いて、「一生懸命、聞くんだな」という理解をしているんでしょうけど、違うんです。

『傾聴が10割』なんですよ。

傾聴が9割だったら、それを傾聴といわないんです。
傾聴は10割。
10割なんです。

ほとんどの人は傾聴をしながら、なにかその後で、するつもりじゃないですか。
聞いて理解して、なにかしようと考えるじゃないですか。
 

高島:

はい。
 

原田:

そこの、「なにかしよう」とするところが介入なんです。
けど、この介入は、ロジャーズにとってゼロなのです。
だから、『聴く』んですよ。

人間関係、関係性の作り方としては、物凄く積極的です。
支えになろうとする意味でも、ものすごく積極的ですし、クライアントの人生に対して積極的に重要な人物になろうとします。

エリクソンは、「なんだったら、嫌われてもいい」というスタンスですよね。
クライアントの問題が解決すれば、そのために自分が嫌われるという選択肢も持っている人なので。

催眠セッションとかやれば、「よくわからないけど、いつの間にか治ってた」など感謝されていないケースも、もしかするとあるかもしれないですね。

エリクソンは、その人の人生に対して、自分が重要な人物になろうとは必ずしもしてない。
対してロジャーズは、その人の人生における人間関係の転換点になろうとするんです。
ロジャーズ自身が。

だから逆に言うと、「人前で緊張しちゃうんです」というレベルであれば、別にロジャーズはいらないと思うんですね。
 

高島:

本当にどん底のどん底にいて、「もうなにも信じられない」ぐらいの人にとって、その転換点となるような重要な存在に、関わり手として積極的になりにいく…。

プロとしては、だいぶ覚悟が問われますね。
 

原田:

出会う人全員にそんなことしてたら、持たないと思います。
 

高島:

持たないですね。
とてもじゃないけど。

そう考えると、日常の関係性の中で、それは家族であったり、親しい人であったり、なにか必要となるときに、まさに支えとなる存在になる覚悟を持っていくとしたら、本当にその『10割聴く』とかが、必要に…なる?
 

原田:

役に立つときはあると思うんです。
 

高島:

あるでしょうね。
 

原田:

たとえば、お子さんが受験でというお母さんって、介入できないじゃないですか。
勉強を教えられないし、勉強しなさいと言っても勉強をするわけじゃないし。

してあげられることが、ないですよね。
夜食作ってあげるぐらいのイメージですよね。

だからこそ、そういう人にとっては、ロジャーズ的な関わりのほうが、むしろ役に立つんですよね。
 

高島:

エリクソンとはだいぶアプローチが、もう居場所が違う感じもしますよね。
ロジャーズがやってることと。

人を助けることの誤解


高島:

今回の講座の位置づけについてお伺いします。

最初の「なぜロジャーズを選んだんですか?」の疑問にも若干関係するんですけど、積極的に心理援助をしているカール・ロジャーズは、結局、「どんなものを見て」、「どんなことを考えて」、だから、「どんなはたらきかけをしているのか」というのを、原田さんがNLPの観点を用いてモデリングして、そこから得られたエッセンスをお伝えしてくださる4日間ということですか?
 

原田:

そうですね。

ただ割とシンプルになってくるので、技術としていろいろというよりは、心構えとか、着眼点とか、 よりトレーニング的な側面のほうが多いかなと思います。

まずはでも、『誤解を解く』ところが大きいので、ロジャーズに対してなされている誤解をいろいろと解いてもらいます。

もちろん誤解もなにも、ロジャーズをあんまり知らないという方もいらっしゃると思うんです。
けど、ロジャーズに対して誤解してなくても、そもそも『人の助けになろうとする』そのこと自体を誤解しているんですよ。
 

高島:

どういうことですか?
 

原田:

ロジャーズ的な観点からすると、「なにかをしてあげようとすることが、人を助けることだ」という発想が誤解なんですよ。
なにかをしてあげるということは、「その人はできない」と言っているのと一緒なので。

それは人を見くびっているし、もっというと、自分を過信してるじゃないですか。
「自分は助けられる」という過信。
ロジャーズは本当にその部分、徹底的に、徹底的に現実を見ているんです。

究極的にいうと、「人助け」って、「誰かのためになにかをする」って、できないじゃないですか。

ちょっと手伝ってあげる、とかはできます。
代わりにここだけやってあげる、とかもできます。
でも、本当に大きな部分って、代わりにやってあげられないんです。

代わりにやってあげられることほど、人生における周辺のことが多いはずなんですよね。

(原田、中座して戻る)
 

原田:

もしかすると、このレベルでも負担が…(苦笑)

エリクソンのほうが楽…
エリクソンのほうが、作業としては大変なんですけど、覚悟がいらないので(モデリングするのは、ロジャーズに比べるとエリクソンのほうが)楽なんですよね…
 

高島:

そうですよね…(苦笑)

ええと、「人を助けたいと思っても、できることはない」でしたっけ?
 

原田:

究極的には。
言い換えると、人間って無力なんです。
他人に対して。

たとえば、さっき受験のお母さんの話しましたけど、どんなにお子さんのことを思っていても、代わりに勉強してあげられないし、代わりに受験してあげられないですよ。
本人がやらなきゃいけないです。

だから、本人がやるしかないことって、残酷なぐらいたくさんある。
人生における一大事みたいなことになってくるほど、結局やっぱり、本人がなにかしないといけないことが多い。

もちろん、一般的なイメージでは、「なにをするかを決めるのに、相談に乗ってもらう」とか、「なにかを上手にやるために、技術的なトレーニングを受ける」とか、そういう部分はあるわけです。

でも、やっぱり、最終的には自分がやるしかない。

そこに対する『割り切り』といいますか、『受け止め』といいますか、『諦め』といいますか…。
諦めが一番近いような気がするんですけど、だからロジャーズは、介入が出ないですよね。
 

高島:

受験の話が出たので、受験に失敗して落ち込んで、もう絶望してるとしたときに、「まだあなたは若いんだから前を向きなさいよ」とか、「来年があるじゃないか」とか、「入試がすべてじゃないよ」とか…。

なんとか前を向いてもらおうと思って、一般的には、「こうしたらどうだろうか」と、よりよい道を示したりしがちかと思うんです。

それで相手が「ああ、そうだな」となるかもしれない。
けれど、「ああ、そうだな」となるかどうか、いつ前を向くかとかというのも、究極的には、他人である人間は影響を与えるところまで。

つまり、思い通りに相手を動かすということはできない。
無力な存在だという認識。

そこがスタートということですかね? ロジャーズの場合。
 

原田:

そこがスタートとは言い切れないかもしれないですけど、そこは重要な土台になっています。

ですから、そこの誤解を解かないと、心理援助を、すごくやりづらくなってしまうんです。
人の助けになるということが。
特に、支えになるという意味でいうと。

というか、「それを持っている限りできない」と言ってもいいと思います。

究極的にはですよ、今の受験の話でいうと、失敗しました…。
なにが問題なんですか?
 

高島:

・・・
 

原田:

浪人して翌年入った大学のほうが、もしかすると、本人の希望に沿っているかもしれない。
1年間勉強したら、去年よりももっと、本人がさらに行きたいところを遠慮なく選べるだけの学力がつくかもしれない。
1歳1年分出遅れる、1歳余分に年を取ることが、日本だったらなんのハンデにもならないですよね。

もっというと、別に偏差値的にいい大学に入ったからといって、その後どうなんだというのは、何にも保証されていない。
本人が希望する大学に行ったからといって、その先、幸せになれるとも限らない。
その先、どんな人間になるかもわからない。

なにがあるかなんか、わかんないわけじゃないですか。
世の中って、だいぶ厳しいですよ。

そういう意味でいうと、運のいい人というのもいます。
ごくまれに。
すごく順調に進んでいける人もいます。

でも、甘くない状況に出会うことは、多いわけですよね。
だから、「早い時期に挫折しておいたほうがいい」という考え方だってあるかもしれない。

たとえばコーチングの人だと、「プロ野球選手になりたいんです」という人がいたら、プロ野球選手になれるようにコーチとしてサポートしていく。
パフォーマンスが上がるようにするし、試合で活躍できるようにいろいろ援助をして、目標を立てて練習をして…。
いろんなスケジュールをして、共に歩んで、プロ野球選手になるという夢に向かって進んでいくじゃないですか。

実際に、「プロ野球選手のクライアントがいます」そこを掲げてるコーチの人とかもいると思うんですけど、では、プロ野球選手になってどれぐらい活躍したらOKなんでしょう?

「プロ入りしました。今、うどん屋をやってます」なんて人いっぱいいるし、
甲子園優勝投手なのに、「今、保険の営業をやってます」なんて、きっとざらにいるし、
なんなら、「プロ野球で活躍しました。活躍しましたけど、引退して、燃え尽きてしまって、今、大変なことになってます」という人だっているし。

「プロ野球選手になるって、果たしてそんなにいいことですか?」というの、わかんないじゃないですか。

責任があるわけですよ。

自分が関わらなければその選手は、もしかしたらプロ野球になんか行かずに、もっと早い段階で違う道を見つけて、違う形のもっといい人生を歩んでいたかもしれない。
なのに、自分が関わったことで、その人の人生の可能性をむしろ狭めたかもしれないし、もっと苦しい方向に持っていったかもしれないし。

責任取れないじゃないですか。
 

高島:

なるほど。

望ましいゴールというんですかね。
「プロになるのが望ましい」とか、「あなたにとって、こういうふうにいくのが望ましいですよ」なんてことを、自分はわかるはずもない。

そういう意味の謙虚さというか、その部分の無力さというのは、「その人の望ましいゴールなんて、自分はなにもわかるはずもない」「無力な存在だ」という…心構えなのか、これは…?

心持ちというか…
 

原田:

ロジャーズは、ちゃんと理解しているんだと思います。
残酷な現実を。

その無力さを心底感じたなら、介入しようという発想には。
 

高島:

ならないでしょうね。
 

原田:

ならないんですよね。

受容にみるロジャーズの変容


原田:

どんなのでもいいから、本人がやりたいことを、
「今、これが自分のしたいと思えることだ」
「この先、どうなるかわからないけど、自分はこの方向に、今、行きたいと思っているから、こっちに行くことにします」

このように本人が思える決断ができれば、それがその本人にとって、少なくとも、今その瞬間、ベストな選択をしているじゃないですか。

それが後悔するとわかっていても、「私は今、それでいいです」となればその方向に進むわけですから 。

本当の気持ち、本当に自分がしたいこと、本当の意味で、自分によって生きていくということができる。
その援助をしている、とはいえると思います。

だから、受験に失敗して、落ち込んでいるんだとしたら、落ち込みたいだけ落ち込んでいてもいいんですよ。
受験の失敗がきっかけで5年間引きこもりになったとして、なんにも悪くないんですよ。

その結果、その先の人生で選択肢が狭まってしまう可能性はあるかもしれない。
けど、その選択肢が狭まることを覚悟の上で、わかった上で本人が、「でも、今はまだ動けないから、動きたくないから落ち込んでいたい」と言うんだとしたら、ロジャーズだったら、

どうぞ、じゃあ、好きなだけ落ち込んでいてください。

それでもあなたの人生として、そういう選択をしているということは、それが本当に心の底から自分の進みたい人生の形なんだ。
それだけ、今まで受験勉強を一生懸命やってきて、うまくいかなかったショックが大きい。

その回復には5年ぐらいかけてもいいんだって本気で思えるんだったら、どうぞ落ち込んでいてください。

ただここら辺は、ロジャーズ自身も、人として、セラピストとして、年齢を重ねるにつれて成長していっている節がある。

ビデオとか見てると、若い頃のほうがやっぱり、多少、個人の思いが出てくるんですよね。
人としてぶつかるところがある。

あなたはそうだと思うし、あなたがそう思うんだったら、それはそれでもう、私はあなたの考えを100%尊重するけれども、あなたはまだ自分の経験で知らないことがあると思う。

私は自分が生きてきて、あなたより20何年長く生きてきて、こういうものを見てきた。
だからあなたには、こういう人生の側面も知ってもらいたいと思っている。

だからそのことを、あなたに伝えられる機会があればいいなと思っています。
けれども、でもあなたが落ち込んでいるほうがいいと言うんだったら、私はそっちを尊重します。
むしろ私の考えも聞いてみようという気になったら、その時を教えてもらえれば話します。

みたいなのが、そういう個人としての本音をぶつけていくところ。
人と人として、本気でぶつかっていく側面は、若い頃のロジャーズのほうが顕著に見られる。

晩年はもっと、本人の経験もあるんでしょうけど、「そうですよね」と。
ひたすら「それも人生ですもんね」という感じになっていっていますね。

高島:

無力を味わって…
 

原田:

ただ、無力を知っているんですけど、でも、その無力をもう嘆いていないんですよ。
そういうものだから。

でもそのことで、クライアント本人が、自分で自分を苦しめているんだったら、それよりも積極的にロジャーズは受容していく。
 

高島:

となると、「目の前で苦しんでる人が、早いところ立ち直るのが望ましいゴールなんだ」という発想がなくなる。
そして、今その人が向き合っていることに対して、関わり手として、本当に無力な自分というのを謙虚に感じる。
それはもう、心掛けるというより残酷なほど、「結局、そうだよな」という思いになったときに、それでも…なのかな?
心理援助として相手を受容していく。
 

原田:

晩年のロジャーズに関していうと、そういうものだということが重々わかっているのと同時に、これらを歓迎している。
悪いと思ってないんですよ。

悩んでいることも悪くないし、苦しんでいることも悪くないし。
いいじゃない。

赤ちゃんが、なかなか歩けなくて、よたよたして転んでいるのを見て、「一刻も早く歩いてくれれば」とは思わないじゃないですか。
いつか歩くし。

大変だけど、「頑張れ頑張れ」「よく頑張ってるな」って。
誰かと比べる必要もないし。

そのぐらいの時期は、人はそういう感じに受け容れられるんですよね。

でもそれが、受験で失敗して落ち込んでいると、その落ち込んでいる姿を自分が見ていられないんですよ。
 

高島:

そうですね、まさに。
 

原田:

嫌なのは自分。
だから、わがままなんです。

何とかしてあげたい。
僕がそういうタイプだったから、逆に堂々と言えます.

僕が嫌だったんです。
人が苦しんでるのを見るのが。

でもそのことって、ほとんどの場合、自覚できていない。
「なにか困っているんだったら、なんとかしてあげたい」と思っていたんですよね。
それでなんとか関わろうとして、介入しようとしてというのをよくやっていた…。

いいんですよ、その人の人生。
別に好きでそうしようとはしてないでしょうから。

苦しいのは苦しいんだと思うんですよ。
だからそういう意味では、その苦しみには目が向くし、その苦しみを減らしてあげたいという思いは、そこは無くしてはいけないんです。

でもそれと、だからといって、「私がなにかしてあげないといけない」ということは、全く別問題で。

つらいよなぁ…うん。
でも、人生だからね。
そういうときもあるし、そうじゃなくなるときもあるし。
今のこの経験が、将来、人生の重要な1ページとして思い出されるときがあるかもしれないし。
このきっかけで、なにかが大きく変わるのかもしれないし。
なんとも言えないからなぁ。

となると、余計なことをしようとしなくなるというんです。
なので、そんなに悲観的に、「無力だからなにもできないんです」と言って諦めて関わっていたわけではなく、むしろ信頼しているからこそというところもあるかもしれないです。
 

高島:

そうですね。
お話を伺ってると、投げやりになるわけでもないし。

ただ、たとえば、「受験に失敗して、5年ぐらい引きこもります」という人の身近にいる人間として、先程、原田さんご自身の話もありましたけど、ほとんどの人が、やっぱり見ていられない思いになる。

苦しんでる人を間近に見ている自分が辛いので、自分の「辛い、何とかしたい」をエネルギーに、相手に介入していくというのが実際じゃないかなと思います。

そこで、謙虚に…謙虚になのかな。
苦しみを味わうその人に目を背けずに、そうやって、そういう方法で生きていくその人に敬意を払って、そこを信じて見守っていく。
そうやって、相手を受容をしていけたら、関わり手自身、もしかしたら、楽にはなっていくのかもしれないなと感じました。

その態度が、心理援助されるほうによい影響を与えるというのはあるんですかね?
ロジャーズのやり方というのは。

ロジャーズの3原則の意義


原田:

そうですね。
そこに関しては、だから、ここが時間がかかるところなんですけど、即効性のあるものではないんですよ。
もっとじわじわと、なんですよね。

じわじわになる理由の一つは、そういうロジャーズのような関わりをしてくれる人というのは、人生において非常に限られている。
今ちょうど例に出してたみたいに、受験のときの親なんていうのは、一番身近な存在であるのに、なんとかしようとするんじゃないですか。

だから、「支えになる」ということよりも、「なんとか解決しようとする」のほうが先立っているわけです。

でも、なんともしようとせずに、ただ見ていてもらえた時期というのは、ほとんどの人にとっては、幼少期にあるんですよね。
まさに、歩こうとしていたときとか。

 

高島:

確かに。
 

原田:

年齢が若いとき、幼いとき。
純粋に、ただ見てくれている。
なんの介入もなく、ただ受容だけしてくれる。

そういう時間を、ある程度、過ごしているじゃないですか。
その時間が、全ての人において、支えになってる経験なんですね。

 

高島:

うん。
 

原田:

でも、本当に悩んでいる、悩みの苦しみの大きい人。
今回の話の中でいう『心理援助』『人助けとしての心理援助』が必要になる人というのは、それが欠けているとか、その部分が一時的に不安定になっているとか、そういうケースが多い。

だから、それをロジャーズがやってあげるわけです。
けれど、その経験はやっぱり、じわじわと経験の量としてためていってもらわないといけないので、どうしても時間がかかるというのがあります。

さらに、そのことにクライアント本人が自覚する。

この人は自分のために、こんなに一生懸命になってくれるんだ。
この人は、私の人生を本気で支えようとしてくれているんだ。

そういう理解が及ぶと、一歩ステージが変わるわけですね。
関係性のステージが。

そこに行くのにもやっぱり、クライアント本人が気づくかどうか。
そのタイミングは待たなきゃいけないので、ここもやっぱり時間かかるところですね。
 

高島:

人としての土台の部分に、アプローチしているのかなと感じます。
ですので、それはコツコツ時間のかかる作業でしょうし、見た目は同じような繰り返しということには、ならざるを得ないのかなという気はします。

ロジャーズの心理援助をどのように身につける?


原田

だから作業としては、シンプルですよね。

やることは、すごく限られている。
共通したことを違うメッセージで表現するだけなので、技術としての複雑さはあまりない。
 

高島:

そうですよね。

一般的に、傾聴を学ぼうとすると、傾聴を技術として「介入をせず、ただ聴くんですよ」と教わる。
僕自身、そんな感じで教わりました。

相手の話を聴きながら、心のどこかに「なんでそんなことするの?」「もっとこうしたほうがいいんじゃないの?」という思いがありつつ、『黙って聴く』をする。
傾聴の技術としては、心の思いを出してはいけないので、それはちょっと胸に秘めつつ、今は聴くをする。

でも、ワークが終わったら、「さっきの話なんだけどさぁ…」とクライアント役をやってくれた相手のところに行き、「もっとこうしたほうがいいんじゃないの」と。

でも、『10割聴く』本当の傾聴だと、そういう介入しようとする発想が、そもそも出ないということですよね。

とにかく、ひたすら、「転びながらも立とうとしている子どもを、微笑ましくずっと見つめ続ける」みたいな、介入という発想がそもそもないような状態…心構えを…作るのか?これは?

その心構えを学んでいって、そこで受容のための技術を教わるのかな?
でも、心構えができれば、自然とできていく技術なのかなとも思うんですけど…。
 

原田

そうですね、両面があります。
トレーニングなので、そこはある程度、工夫します。

その心構えが育まれるような技術を練習することで、自動的に心構えが身につく。
かつそれを、スムーズに表現できるように練習をしていく、ということは想定はしています。
 

高島:

はい。
 

原田:

指針が生まれる感じというんですかね。

してはいけないことがあるわけではないんですけど、「こういう作業をすることに心がけておくと、その心構えにより近づいていきやすいですよ」という、なにかそういう道しるべというんでしょうかね。
 

高島:

エリクソン講座はずいぶん頭の作業も多かったんですけど、ロジャーズ講座はだいぶ違うトレーニングになっていきそうですね。
 

原田:

そうですね。
理解しなければいけないことという…理解という言葉が曖昧ですね。

知識として整理しなければいけないことは、そんなにないです。

エリクソンのほうが作業として細かく、その都度その都度、目的を持った行動をするという側面が強いので、いろいろなことが区別できないと使い分けられないというところがありました。
そういう意味では、エリクソン講座は知的な理解の作業も多かったんです。

ロジャーズ講座は、それよりはもっとシンプルに、トレーニングという感じですね。
稽古という感じです。
 

高島:

たとえば、無条件の肯定的関心とか配慮と訳されますけど、「無条件の肯定的関心を心がける」というよりも、「無条件の肯定的関心になっていく」トレーニングということですか?

 

原田:

そうです。
「ロジャーズに学ぶ」ということは、それができるようになるのが最低到達基準ですね。
 

高島:

苦しいですか?
 

原田:

苦しくはないと思いますよ。
 

高島:

先ほどの、子どもが立とうとしてという例を聞いたときに、「苦行というわけでもないのかな」と感じました。
忍耐をしてとかとは、ちょっと違うわけですね。
 

原田:

うん、そうですね。
そこはないかな。

負担はありますよ。
 

高島:

相当ありそうですね。
 

原田:

他人のために本気になるのは、普通、人生で経験しないので。
自分のためにだって、本気になってない人いっぱいいるんですから。

まして、他人のために本気になんてなれず、どちらかといえば、「他人を通して自分を満たそう」とするのがこの世の常ですから。
真逆を行くわけです。

ひたすら自分を捨てて、その瞬間、その人のためだけに、”本気”で関わる。

晩年のロジャーズは、そこで個人としてのエゴというかわがままみたいなものも完全に消えてました。
けれど、若い頃のロジャーズは、そこに人として「この人がよくなってもらいたい」という思いがまだありました。
ですから、そこもぶつけながらの”本気”をやるわけです。

無条件の肯定的関心 ―その関心がどこを向いているか?―


高島:

さっき苦行と言ったのもそうなんですけど、目の前で苦しんでいる人がいると、苦しんで欲しくないので、自分の中に「何とかしちゃいたい」という思いがわいてくる。

ところが、傾聴のときに「これは出してはいけない」「思ってはいけない」みたいな。
もしかしたら、そういう学びをしてきてる方は、いるのではないかと思うのです。

「これで本当にいいのかな」と疑問を持ちながらも、「出してはいけない」と教わるので、という人は結構いるんじゃないかなと僕は思っているんです。

そういうトレーニングをしていくというわけではないのですね。

 

原田

抑えるというのはですね、理屈上のことで、できないというか効果的ではないんですよね。
もっと正確に言うと、抑える努力をしている以上、やっている作業が違うんです。

無条件の肯定的関心ということは、相手にその関心が向いてなければいけない。
なので、自分の内側を抑えているほうに関心が向いていてはいけないんですよね。
 

高島:

そうですよね。
 

原田

だから、できているときは苦行ではないですし、自分を抑制しなければいけないところは別にないです。

ただ区別として、到達するものがはっきりしている以上、『できているつもり』と『できている』の差については、「そうではなくてこうです」という意味でのフィードバックはあるんですよ。
その辺の修正は、あるといえばあるんですよね。

ただその修正は、気づいたときに、それを止めようとするのではなく、「本来やるべきことをもっとやろう」と心がけるということです。
なので、「違うことをやってますよ」というフィードバックは大いにあり得ると思います。

その意味でのトレーニングの厳しさはありますかね。
 

高島:

たとえば、受験に失敗して、「もういいんです。僕、引きひきこもるんです」という相手に、無条件に肯定的関心を向けて、共感的に理解して、「引きこもるんですね」と自己一致して言うって、難しい。
やっぱり、「それは、あなたの人生損しちゃいますよ」という思いがわいてきてしまう。

という、自分の心への気づきまではある。

でも、「引きこもるんです」ということに、どう無条件に肯定的に関心を向けるかというところは学べていない。
それで、「ああ、また私、自分の思いがわいてしまいました。できませんでした」と終わってしまっている部分だと思います。

そうではなくて、苦しんでいる相手に無条件に肯定的な関心が向くような、ロジャーズがしていた道があるということですね。
 

原田

そうです、そうです。

来談者中心療法は『聴く』というセラピー


原田

そこでたぶん典型的なところは、『聴く』を手段にしているところが、一番大きな誤解を生んでいる。

『聴く』というセラピーをしているのが、来談者中心療法というセラピーですから。
あれは『聴く』というセラピーなので、聴いてどうこうしようというセラピーじゃないんです。

たとえば、NLPとかやると、話を聴いてクライアントの問題を理解して、じゃあワークをしましょうとなる。
相手の置かれている状況を理解するというのが、大抵のプロの援助のときには入ってきますよね。

だから、キャリアカウンセラーとか、産業カウンセラーとかで、傾聴を習うんですけど、それって前提が、クライアントの置かれてる状況を理解して、そのあと専門的ななにかに進もうとしているわけですよね。

たとえば、その職種の提案であったりとか、もうちょっと考えを整理するとか。
聴いた後のことが想定されてるから、そのために、まず聴くことをしてるじゃないですか。

ここの誤解を解く必要があります。

聴いた後のことが目的じゃなくて、『聴く』がそもそもセラピーであるというところ。


けっこうみんな、言うんですよ。
NLPでもコーチングでも、心理療法とかやっている人とかでも聞きますかね。

「こういうクライアントには、話だけ聴いとけばいいんですよね」みたいな。

 

高島:

聞きますね。
 

原田

「とりあえず、話を聴くしかできなかったです」とか。

だいぶ話を聴くということを、軽んじていらっしゃるように聞こえるんですよ。
「聴くだけでいい」なんて、それは聴いてないですよ、絶対。
『聴く』ために聴くんですから。

究極的にいえば、問題は本人が解決するわけじゃないですか。
目標に向けて努力するのが、本人じゃないですか。

だから、コーチもカウンセラーもセラピストもいなくても、本人が自分で問題解決する可能性は、いくらでもあるわけですよね。

でも、話を聴くというのは、もう一人いないとできないんです。
自分しかいないで、話を聴いてもらうのは、物理的に無理じゃないですか。
自分だけでも問題は解決できますけど、自分だけで話を聴いてもらうは無理なんですよ。

『誰か別の人がいる』ということの価値。
そこには、一人をはるかに上回るものがある。

だから、『聴いてくれる人がいる』ということが、どれぐらい重要かわかっていれば、「聴くだけでいい」とか、「聴くことしかできなくて済みません」とか、そうはならないと思います。

アクティブリスニング


高島:

本当は、いろいろこちらからお話もしたかったり、なにかやってあげたかった。
けど、相手がずっと喋ってるんで、こちらからなにもできず、結果として聴くだけになったという『聴く』と、積極的に10割、全力で聴くをするという『聴く』は、同じ『聴く』でも全然違うということですよね。

そして、本気でただ『聴く』をしていたのがロジャーズ。
 

原田

そうです。
それをアクティブリスニングというんですね。

もしかすると、質問をして理解しようとするとかも、傾聴の技術の中に絡めて学ぶ人もいるかもしれないんですけど、ロジャーズは質問しないですからね。
確認はぎりぎりしますけど。

オープンクエスチョンは、ほとんど…ほとんど?
僕が思い出す限り…

思い出せないです。

なにか質問をして話を掘り下げるとか、質問をして相手を理解するのは、ただ『聴く』ではないんですよね。
理解するために聴いているので、それは自分のための作業なんですよ。
 

高島:

ミルトン・エリクソンを学んだだけに、エリクソンのよさというか、介入していくことで相手に変化が起きることのよさを感じたり、可能性を感じます。

人間として、ロジャーズの発想していることに、だから無力というところに行くのかもしれないんですけど、一方で、「本当にいいのかな?」「大丈夫なのかな?」といった不安みたいなものを感じもするんですけど。
 

原田

そうですね。

そこはおそらく、ロジャーズ自身も、若い頃と晩年とで変化が起きているように、その個人としての思いがどれぐらい出るかと、関係はしているんだろうなとは思います。

たとえば、スクールカウンセラーのところに、不良が連れてこられたとするじゃないですか。
「行ってこいと言われたから来ました」みたいな感じで。
なにもしゃべろうとしないし、ぶすっとしている。

エリクソンだったら、多少関心を引きながら、ちょっとずつ話に巻き込んでいく。
会話の主導権をエリクソンが持って、いろいろと話を振って、ストーリーを語る。

その中で、相手の反応を確認して、時々、コミュニケーションに参加してもらうようにしながら。
でも原則、エリクソンが語り続けることになるだろうなと思います。

ロジャーズだったら、相手がしゃべらなくてもいいんですよ。

質問ではなくアイメッセージ


原田:

たぶん日本でもアメリカでも、ロジャーズ派の人たちは、そこそこロジャーズの真似をすることがあるので、「話さなくてもいいですよ」ぐらいのことは言いますかね。

でも日本で、たとえばカウンセリングを勉強しましたみたいなケースだと、そういう連れてこられた不良の子に対してのスクールカウンセラーだったら、なんか質問していろいろと聞き出そうとしがちなんじゃないかなと思います。
 

高島:

そうですね。
きっと会話することで、関係を築こうとしますよね。
 

原田:

「今日は給食とか食べたの?」とか、なにか答えてくれそうなことから、いろいろと質問してたりしそうじゃないですか。

「あ、それ、あそこのブランドのアクセサリーでしょう?」
「どこで買ったの?」
とかやりそうだと思うんです。
 

高島:

そうですね。
 

原田

悪くはないです。
けど、ロジャーズは、

ここは君のための場だから、君のための時間だから。
だから、君の好きなように使ってくれていいです。

君が話したいことがあれば話せばいいし、
話したくなければ話さなくてもいいし、
帰りたくなったら、帰ってくれてもいいし。

でも君は、来なくてもいいはずなのに、行けと言われたというだけの理由で、今日ここに来ることを選んでくれたんですよね。
私は、まずそのことを、すごく重大なことだと思います。

まず、「ここに来てくれて、あなたと会うことができた」ということに対して、私は一人の人として、この出会いをすごく意味のあるものだと思っています。

私からあなたに対して、何かを言うことはないし、あなたには、ただこの場所が、自分のためにあるんだということを分かってもらいたいという思いで、今この瞬間、話しています。

みたいなことをやるんだと思います。
だから、ひたすらアイメッセージですよ。

もし、なにか質問したいことがあるとしたら、たとえば、

君が今日ここに来るということを聞いたとき、
私は君の人生について、これまで感じてきたことについて、
いろいろあったんだろうなと想像を巡らせました。

あなたのために、この時間を過ごすということを
もっともっとあなたのために費やしたいので、
可能であればあなたの口から、
これまでどんなふうに生きてきたのかというのを聞けると嬉しいと思ってます。

ただあなたに、それを強要するつもりはないし
話さなくてもいいし、話したいと思ったらそのときに話してくれれば…。

というような。
だから、なんでもよいんですよ。

心を開くということ


高島:

今、素直に、すごいなって感じました。
話してもいいし、話さなくてもいいし、帰ってもいいし。

そこになんの条件もつけずに、不良の子がどうであれ、「私は全力で、あなたの前に無条件にいるんです」という存在は、人生でそうそう出会わないですよね。
 

原田:

まして不良だと、そういう関わり方をしてくれる人がいないから、不良になっていった可能性もあるわけなので。
もちろん、それですぐに、心を開いてくれるわけじゃないですし、時間はかかるんですけど。

そうやって、たとえば一言も口をきかずに、約束の50分ずっとそこにいてくれたとしたら
「50分帰らないでいてくれたんだ。帰ったっていいのに」

その思いに、言葉をかけていく。

どういう思いで50分、そこにいることを選んだのかは、わからない。
それが先生に言われたから仕方なくだったとして、約束を守るということを大事にしたのかもしれない。
目の前にいる自分に気を使って、50分ただいてくれたのかもしれない。
本当はまだ言えない思いがあって、「何とかしたいな」という、まだ表面化できない変化への原動力みたいなものが、そこにいさせたのかもしれない。

わからないけれども、でも、50分帰らないでいてくれたということは、すごく大きな一歩ですよね。
なので、そういうことに対しても、言葉はかけていくことになるんです。
 

高島:

なにか本当に、ストレートに、心と心の奥深いところでつながっていく…。
でいいのかな。
 

原田:

まさにその心を開く。
そこが大きなポイントになるんです。

技術的には、心を開かせようとする技術は、いくらでもあるわけです。
安心してもらえれば、自然と心は開かれていく。

たとえば、対比でエリクソンをあげるんだとすると、安心してあの場にいることに対しての緊張が解けていけば、自然と心が開かれていって、リラックスしてオープンになるのは催眠的なアプローチの典型なわけですよね。

ちなみにエリクソンは、最初から心が閉じてない人です。
意識と無意識の境目が、ないじゃないですか。
だから、エリクソンが心を開くという必要性は、そもそもないんです。

でも、一般的にエリクソン派で催眠をやってる人たちは、エリクソンとは違うので、自分の心は閉ざしているのが日常ですよ。
プロとしてクライアントに関わるので、やっぱりプロモードでやります。

その意味では、自分の心を真っ裸にはしてないのです。
それでも、催眠的な関わりをすれば、クライアントの心は開いてもらえます。

ロジャーズは、逆なんですよ。
まず、自分が開くんです。
パッカーンみたいに、いきなり。
いきなりスッポンポンになるんですよ。
 

高島:

そうですね。
もう、なにか傷つきにいっているというか、いきなり無防備なんですね。

その意味では、本当に心の土台的なところで、人と人との関わりということを心理援助者としてやっていっているのがロジャーズ。
なので、日常的な対人援助で、常にそれを求められるものでもないでしょうし、やりきれないでしょうけど、本当に。

「苦しんでいる人の支えになろう」と思ったときに、人生の中でそういう人に出会うタイミングがあったときに、ロジャーズのやってたことというのは、たくさん学ぶべきものがあるというところでしょうかね。
 

原田:

そうですね。
まさにそうだと思います。
プロとして、それを常にやるという必要はないし、身が持たないと思いますから。

ですから、それを勧めるものではないです。
まさに最初に高島さんが出してくださった、「人前で緊張するんです」のようなケースだったら、全然、そもそもいらないんですよ。

でも、本当の意味で心の支えが必要な人とは、プロとして出会うこともあるし、プロじゃない場面でも出会うことがある。
なので、そうなったときに、支える人として関わってあげられるかどうか。

「あげられるかどうか」とは、言い方に聞こえますけど、そこまで覚悟を持ってその人の人生に、最初に高島さんがおっしゃった「積極的に関わりに行く」ということなので、その人の『人生の転換点にいた人』になりに行くわけです。

それは、同時に覚悟がいることでもある。

身近な人だったら大いにあり得ると思いますけどね。
家族とかであれば。
 

高島:

女性のクライアントさんがロジャーズに、「お父さんみたいに感じます」と言ったときに、ロジャーズは「今この時間、私はあなたのことを、実の娘以上に感じています」というようなことを言った。

相当な覚悟がないと、言える言葉じゃない。
それこそ本当に、クライアントにとって重要な存在に、大きな存在になるなと思いました。

なので、1日8人のクライアントと関わるとして、毎回それは求められもしないでしょうし、やってもいけないでしょう。

けれど、本当にエリクソンとは違うスタンスなんだなといういうのは感じますよね。
僕自身、覚悟を持って学びたいなと思います。
 

原田:

そうですね。
そういう人が一人でもいてくれたら、救われる人は増えるんだろうなとは思いますよね。

そこはスタンスの違いというんですかね。

出会う目の前の人、一人一人を全力で。
そんなところが、ロジャーズにはありますよね。

その辺が、人間性心理学などとして、「そもそもの人間のよいところを信じて関わる」そういうムーブメントとして言われてしまってますけど、ムーブメントで片づけるには、あまりにも本質的だと思います。

心理援助の階層


原田:

せっかくなので、少しだけ整理しておきましょうか。

心理援助ということで、人助け的な意味での援助を想定しているものですね。
プロのものも関わってくるので、そこら辺も含めて整理のため。
それから今回は、お話の中でロジャーズとエリクソンの対比があったので、その辺も踏まえてできればなと。

ということで、家にたとえてイメージしてもらおうかなと思います。
 


原田:

家を建てるときって、あんまり家建てるのに興味ない人は、気にしてないかもしれないんですけど、地盤そのもの、その土地の地盤そのものの質というのはけっこう重要です。

たとえば、液状化が起きやすい土地とか。
僕の生まれ育ったところは、砂が多い富士山の火山灰が積もったとこなので、相当不安定なところらしくて地盤が緩い地域なんですよね。

だからそういう 、そもそも、家を建てるときの地盤そのものが、けっこう頑丈な地盤もあれば、不安定な地盤もありますというところが前提にあります。

その上に、いわゆる基礎工事。
最近だと、コンクリートを打つやつですよね。
土台になる部分を作ります。

その上に鉄骨であれ木造であれ、いわゆる柱に当たる部分を組んでいって、スケルトンの骨格を作るわけですよね。

そこに壁とか屋根とかそういうのを貼り付けていって、その他いろいろ、内装のクロスとか電気とかガスの配線とか、いろんなものをやってその建物が作られていきます。

建物の内側にそれぞれ住んでいる人が、好きなものをいろいろ置いて、自分らしい家をアレンジして住んでいくみたいなイメージですよね。

たとえば、こっちのインテリアの話からしたので、引越しとかした人だと、もういきなりインテリアのイメージになるじゃないですか。
すでに建物はあって、壁はできてて、クロスも張られていて電気もあって、そこに自分の持ち物を持っていくだけ。

リフォームするときというのは、この建物の中身を変えますよね。
場合によっては、壁ぶち抜いてとかやったりしますけど、でもそのときでも、骨組みはいじっていない。

建て直したりすることもあるのかな。
でも、通常、建て直しというのは、基礎からやるイメージがありますけどね。

そんな感じで、家の建て方というのをなんとなく区別してイメージしていただいたときに、それを人にたとえていくと、インテリアに当たるもの。
つまり、家の中にあるものというのは個人の所有物なので、実際のその人個人でいえば、自分の持ち物や資産。
たとえば、資格とか経歴とか業績とか人間関係とか。

そういう、私はこういうものを持っていますという「私の〇〇」として呼ばれるのが、⑤≪Having≫の部分ですね。
 


原田:

この⑤≪having≫をより豊かにしていきたいというのは、多くの人に共通するところ。

その辺りはたとえば、アメリカ人の友だちが欲しいからとか、どっかの海外のセミナーに参加したいからとかというので、いろいろトレーニングを受けたりとか。
あるいはスポーツをやっていて、試合で勝ちたいとか。
どっかの大学に合格したいとか。
売り上げを上げたいとか。

そういうのが全部この⑤≪Having≫のところの欲求として出てきて、それをクリアするための援助というのは世の中にたくさんありますよね。
 

高島:

そうですね。
 

原田:

この辺が主に、専門家が支援をする内容といっていいんじゃないでしょうか。
自分だけではできないけど、プロにお願いすると手に入る。
そんなイメージですね。

それと比べると、もう少し本人の内面に関わってくるところ。
本人がすることとして、④≪個人の技能≫に当たるところがある。

これは、その家でなにができるかみたいなイメージなので、建物の中の内装であるとか、電気配線とかそういったイメージでしょうかね。
 


原田:

たとえば、お風呂とトイレを別にしたいとなったら、それ相応の配管が必要になるわけですよね。

だから建物の話と同じように、アメリカ人とコミュニケーションが取れるようにしたいとなったら、英語が話せる技能が必要になる。
スポーツで成果を出すというのは、スポーツが上手になる必要がある。
という位置づけですね。

ということで、この個人の所有物の部分そのものをダイレクトにお金で解決しちゃうこともできるし、本人がなにかを技術として身につけることで、成果として手に入るようにするという場合もある。

いずれにしても、この④≪個人の技能≫⑤≪having≫のあたりが、専門家として対人支援をするときのメインになるところといえると思います。
 


原田:

最初に高島さんがおっしゃった例でいうと、「人前で緊張するんです」のようなのは、④≪個人の技能≫の部分ですよね。

緊張せずに話せるとか、緊張してても上手に話せるとかです。

これらで解決ができる人というのは、そもそも、それ以前に骨組みがしっかりしているので、その骨組みを生かしたまま、必要であれば内壁のリフォームもできるかもしれない。
必要であれば配管を増やして、水回りを変えてとかということもできるかもしれない。

それをもとに、もっと欲しいものを、インテリアを充実させていくこともできるのは、結局、しっかりした骨組みの家だからなんですよ。
 


原田:

僕が生まれ育った家は、欠陥住宅でした。
骨組みがしっかりしてませんでしたから。

家に遊びに来る友だちが、
「あ、めまいがする」
「あ、ごめんごめん。そこ傾いてるの」
ボールを置くと加速していく家だったので。

だから、リフォームできなかったんですよね。
結局、全部壊す。
壊して建て替えるしかなくなっちゃった、という経緯がありました。

だから、骨組みがしっかりしてるかどうかは、自分の好きなようにどういうリフォームしていくかを考えたときには、重要なんですよ。

いい骨組みを持っていれば、リフォームも好きなようにできる。
安定したリフォームができる。

けど、骨組みがまずいと、それだけで不安定になってくるわけなんですね。
うっかりピアノなんか買ってしまうと、崩れてしまうかもしれない。

ということで、この骨組みに当たるところというのは、人間にたとえると、個人に対応させると、③≪社会適応の基礎スキル≫
社会に適応するための基本的な土台となるスキルのところですね。

コミュニケーションであるとか、考え方であるとか、社会に上手に適用できるかと。
常識を持っているか。
道徳的な行動ができるかどうか。
自分をうまく律することができるか。
努力する習慣があるか。
問題があったときに、諦めずに工夫する態度を持っているか、などなど。

この辺が、ベースとして備わっていると、その上にいろいろな技能を積み重ねていくのは、割とたやすいんですね。

でもここの、「そもそも社会に適応しづらいです」という人の場合は、成果云々の前に、まず日常生きるのが苦しいんです。
負担が大きいんですよね。

なのでこの辺は、中間的といいますか、プロが援助する場合もあるし、人助けとしてサポートする部分にもなる。
というとこですね。

プロとして③≪社会適応の基礎スキル≫をやってくれる人は、たまにいます。
心理療法家とかで気の利いた人だと、やってくれます。
それが、骨組みの部分ですね。

もっとベースになるところとして、基礎工事がしっかりされているかどうかのたとえにあたります。
そもそも、「人生とは…」、「人間とは…」ということに対して、どのくらい楽観的・好意的に捉えられてるかのところですね。
 


原田:

②≪人生と人間に対する楽観的ビリーフ≫は、もう経験によるんですけど、生きていくということに対して、他人という存在に対して、いいイメージを一切持てていない。
未来が全部、辛いんです。
生きていたくないんですよ。

こういうレベルの人も、実はいるということですね。

でもそれは、もちろん骨組みも、基礎が歪んでいれば歪みやすいので、骨組みも身につきづらいんですけど、その根底に、そもそも、②≪人生と人間に対する楽観的ビリーフ≫が欠けているがゆえに、というケースがあります。

さらにそのベースとして、工事云々じゃなく、土地自体の安定性みたいなものですよね。
ですから、なにを学習してきたかということ以前に、心というものが、個人の心というものがどれぐらい安定してるか不安定かという差があって、ちょっとしたことで揺らいでしまう。
そういうタイプの人もいるんですよね。
 


原田:

この①≪心の安定感≫というのは、端的にいうと、どのぐらい愛されてきたかということとリンクします。
なので、生まれ育ってきた人間関係によっては、そもそもの心の地盤がぐずぐず不安定な人もいるわけです。
 

このたとえにあるように、原則①から⑤に向けて、上にでき上がっていくので、①②に近いほど、根本的な生きづらさとリンクしていきやすいということですね。

専門的なサポートは、主に④⑤のところでやられます。
なので、それが機能するためには、①②③は当然のレベルとして平均ぐらいまでは持っていて欲しい。

社会で普通に適用できる程度のスキルを持っていて、人生と人間に対してまあまあ楽観的に思えていて、そこそこ心が安定しているという平均的な人ぐらいあれば、④≪個人の技能≫とかを求めていろいろ努力していくことができるわけです。
それで十分なんです。

けど、①②③が欠けている不運な人だと、①②③をサポートする必要がある。
こここそが、『心理援助』『心の部分で人助けをする』という話になっていきます。
 


原田:

そういう意味でいうと、心の安定感を育めなかった人というのは、運悪く、十分に愛されないで育ってしまったということ。

虐待されていたとか、捨てられたとか。
そういうレベルの人もアメリカだといますから。

そういう場合には、ロジャーズが、親代わりぐらいの形で、愛されなかった人に「愛されている」という体験をしてもらいに関わるわけですね。

これは経験的なものなので、すぐに安定していくわけじゃない。
ですから、ここは時間がかかります。

でもその分、丁寧に諦めずに根気よくということですよね。

それと関係してますけど、「人生なんて」「人間なんて」と悲観的になってる人に、こういう人もいるんだと例外になるというのが、ロジャーズのやってるこの理想に対するアプローチといえるんじゃないんでしょうか。

ロジャーズとエリクソンの心理援助の違い


原田:

①②のほうが、ちょっと気づきを必要とする感じですかね。

人間なんてロクでもないと思ってた。
親、大人なんてひどいもんだと思ってた。
けど、「こういう人もいるんだな」となってもらえれば、この悲観的な考えが崩れていく。
ちょっと基礎がしっかりしてくる感じですね。

ロジャーズは原則、この①≪心の安定感≫②≪人生と人間に対する楽観的ビリーフ≫です。

エリクソンは、③≪社会適応の基礎スキル≫を割りとやりがちですね。
運悪く社会に適応するための必要なものを学び損ねた人に、それを学んでもらうということをやるわけなんです。

③を身につけることで、間接的にその人の周りの人間関係が変わって、誰かその人のことを愛してくれる人が出てくるとか、その人の行動パターンが変わることで周りの人間関係が変わって、「人生ってちょっといいものだな」と思えるようになってくるとか。

①②に対して、③を通して間接的にアプローチしていくというのがエリクソンのスタイルという感じですかね。
 

高島:

そうですね。
エリクソンはクライエントを結婚に導くことがありますが、エリクソンが結婚するわけじゃないですしね。
 

原田:

エリクソンもだから、誰かの親代わりにはなってあげないわけなんです。
けど、ロジャーズは親代わりになりますよ、と。

そんなスタイルです。
 

高島:

本当にもろに、地盤・基礎。
もう、ひたすらそこをやってくのがロジャーズ。
 

原田:

そうです。

そして人間関係として、その人が、人に対して描いていたネガティブなイメージをロジャーズが書き換えていく。
例外になる。

心理援助者講座中級Ⅱ『カール・ロジャーズ』編を学ぶ方へ


高島:

虐待にあった犬の保護のことが思い浮かびました。

とにかく人が怖くて、ちょっと手を入れたら、かじってきちゃう。
怯えて、震えている虐待にあった犬。
人がエサをあげようと檻に手を入れるとかじっちゃう。

お話を伺っていて、ロジャーズは、まさにそういう感じで、かじられることがわかっていながら、ちゃんとかじられる。
かじられてあげながら、「この人は違う」と、どこかで犬が気づいてくれる。
そういう関わりをしていたのかなと。

ですので、人生のどこかでそういう相手と出会う、今まさに出会っているという方もいるかと思うんですけど、今回の心理援助者講座中級Ⅱ『カール・ロジャーズ』編は、それだけの覚悟を持って、そういう存在として関わるための学びの4日間なのですね。
 

原田:

高島さんも、ご自身でご経験があると思うんですけど、苦しいときって、「なにをしてくれたか」よりも、「どれだけ側にいてくれたか」とか、「どれだけ思ってくれたか」とか、「どれだけ自分のために苦しんでくれたか」とか。
なにかそういうことのほうが、ずっとずっと印象に残るじゃないですか。

「力になってあげられなくてごめんね」って言ってもらえるぐらい力になろうとしてくれる人がいる、というのがその安心感というんですかね。
 

高島:

苦しいときは、もう本当に視野の狭い状態にいるんです。
けど、今、振り返るとわかるんですよね。

「あなたのために言ってるのよ」という言葉の向こう側が。

僕のためじゃなくて、そういう僕といる、あなたが辛いんだろうなって。
こちらには、「そうさせている申し訳なさ」なんかも出るので、なおのこと、苦しいんですけど。

確かに僕も、17年続いたうつを抜け出る転機は、はからずもロジャーズ的な関わりをされたことですね。

「あなたが元気になることがゴールです」じゃない人との関わり。
「そのままのあなたでOKですよ」という関わりが、やっぱりきっかけだったなと、今、思います。

ですので、確かに、ロジャーズ的な関わりは、世の中で苦しんでる人の支えになるなというのは感じます。
身につける人に、どこまでメリットがあるかわからないですけど。

でも、そういう心意気のある方に、学びに来ていただけるとありがたいですね。
 

原田:

そうですね。
その方のためというより、世の中のためには、本当にそうだと思います。

社会が、メリットがあるということをよしとする風潮にあります。
幸せになりたいというのは大いに結構なんですけど、「どれぐらい幸せであるか」ということで競いはじめてるじゃないですか。

メリットがあるとか、価値があるとか。
人の役に立つとか、成果をあげるとか。
なにか成し遂げたことが大きいほど、よい人生であるかのような。

そういう風潮が社会全体に広まっていて、それゆえに裏を返すと、そうじゃないのはダメだと。
その反動が出ちゃうんですよね。

自分は何者でもないとか、なんの役にも立ってないとか。
なにもうまくできないとかということを、悪いことであるかのように捉えてしまいがちになってるんですよ。

成功をアピールするということは、成功していない人を虐げてるとまでは言わないですし、下に見ているとも言わないです。
けど、間接的に、成功成功と言ってるということは、「成功してないのはダメだ」というメッセージにもなるじゃないですか。

そんなことは、ないはずなんですよね。
なにもできないということが、悪いことじゃないし。

家にいた犬なんか、なんの役にも立たなかったですね。
僕の服をいつもビリビリにかんで、ヨダレだらけにして、迷惑ばかりかけてました。

けど、でもやっぱり、大事な存在ではあったんですよ。
僕にとって。

だから、社会的な価値で人を判断する。
それ以前のところで、目の前の人を受容できるようになってくると、そういう人が多ければ多いほど、「社会で活躍することがよいことだ」という呪縛から、その苦しみから、離れていきやすくなるんじゃないかなというのは、個人的な思いとしてはありますかね。
 

高島:

誰にでも来てくださいという講座ではないだろうなと、もちろん本当に思います。
お金を払って来る方一人ひとりには、もう来ていただけるだけで、「よくいらっしゃいましたね」「学んだあとが大変ですよ」という講座になるかとは思うんです。

けど、それでも学ぶ方がいらっしゃると思います。
なかなか他では味わえない4日間になるじゃないかなと期待をしています。
 

原田:

はい。
 

高島:

長時間、どうもありがとうございました。
 

原田:

ありがとうございました。

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