『心理援助者の心構えと技術トレーニング講座』開講によせて②
「誰にでもオススメできる講座ではありません」


2023/10/1

 

キッカケってありますよね。
それに、もっと遡った原点も。

僕の場合、キッカケは会社の人間関係でした。
やらかしたんです。
人助けのつもりで。

それで自分が苦しみ、もっとちゃんとコミュニケーションを学ぼうと思いました。

人の心を大切にできるようになりたかったんです。

コーチングや産業カウンセラーなんかも検討しましたが、とにかく早く何かを始めたくて、開催日程が一番近かったNLPの講座を申し込みました。

技術だけでなく、心そのものを理解したい願望もあったんだと思います。

「神経言語プログラミング」という言葉の並びが、理系の僕にはカッコよかったのも惹かれた理由でしょう。
NLPについても本だけは読んでいましたから。

そして講座に行ってみると…。
 

<関連記事>『心理援助者の心構えと技術トレーニング講座」開講によせて①

執筆者:原田 幸治
日本実践コミュニケーション心理学協会講師

約3,000人の受講生と関わってきたNLP™トレーナー™。NLPに対するスタンスは、トレーナーというよりもプラクティショナー(実践者)。実践経験に基づいて「本格的な内容を分かりやすく」説明することを心がけている。

心の学びが楽しかった時代

セミナーで味わう人との交流の喜び

 

実際に講座へ行ってみたら、これが実に…

楽しかった。

 

シンプルな感想として、楽しい時間がそこにありました。

厳密にいえば、本当に学びたいことをやっていたわけではなかったはずです。
「心を大切にする」コミュニケーションの技術をトレーニングしていたわけではありません。

標準的なNLPの資格取得コースでした。
しかも荒削りで、柔軟で(いい加減?)。

トレーニング的な側面よりも、受講生の気づきや発見を尊重してくれる体験重視の構成でした。

ペアを組んで、テキストの通りにやってみて、感想をシェアして…。

会社では出会わない人たちとワークをするのも、
アンカリングとか、サブモダリティチェンジとか、催眠とか、非日常的な体験をするのも、
心の不思議さを実感を伴いながら知っていけるのも、
全部が楽しかったんです。

会社だったら朝の「おはようございます」さえ機械的なのが日常でしたから、
当時の専務理事の人の「おはようございます!」の明るさと元気さえも嬉しくて…。

NLPの内容だけでなく、人との交流の喜びも、当時の僕には大切だったんだと思われます。
 

返事は0.2秒でイエス


そしてその楽しさと繋がりの喜びがあったから、僕はトレーナーコースにも行くことにしました。

同期の受講生から誘われたんです。
「バンドラーに会いに行きません?」って。

その頃ハマっていた講演家が「頼まれごとは試されごと」、「返事は0.2秒で」と語っていて、
その影響もあってか、僕は即答で「行きましょう」と答えていました。

トレーナーコースも楽しかったです。
今ほど英語も話せなかったのに、初の海外というのもあって、全てが刺激的で感動的な時間でした。

トレーナー資格をとった後も「NLPの時間」の楽しさが、僕にNLPを続けさせました。

他も色々と学びに行きながら、NLPの講座にもアシスタントとして参加させてもらっていました。
ときどき講座の一部を担当させてもらったりもしていました。

 

その後、別の学びの場で出会った人から「原田さんは独立しないんですか?」と聞かれて、それで安易に会社を辞める決断をしました。

ええ。
「返事は0.2秒でイエス」でしたから。

まあ、それ以上に、会社での人生に希望を失いかけていたのもあったと思います。
人事には行かせてもらえないという話でしたし、研究を続けても僕の求める「分かりたい」気持ちは満たされなさそうでした。

この時点で僕は、NLP以外にも催眠や潜在意識の勉強にもハマっていて、そちらで活躍している先生に憧れているところもあったんです。

ウブだった僕は、その先生のことを“メンター”のように考えて、その先生に近づこうとしていたんだと思います。

本を書いて、セミナーをして…、
ベストセラーで印税生活、みたいな夢を描いていたものです。

そんな夢が実現されるように、毎日せっせとイメージワークをしていた時期だってあるんです。(今は夢も目標もなくなりましたが)

NLPトレーナーの駆け出し期


会社を辞めてからは、縁をいただくことになり、
NLPのトレーナーとしての仕事がメインになっていきました。

体力的にキツイこともありましたが、若さと鈍感さで乗り切っていたものです。

その原動力となったのも、やっぱり「楽しさ」です。

言葉を探せば、もっと美しい表現はあります。

  • 人との繋がりの喜び
  • 貢献や、人の役に立てる充実感
  • 人が喜んでくれる満足感
  • 上手くできたときの達成感
  • 自分も成長していける向上心

さまざまな価値観が満たされます。

何より感動があるのが大きかったものです。

NLPの講座に参加される方は皆さん、自分の人生を切り拓こうとしているように感じられました。

ワークを通して自分と向き合い、抑え込まれていたものが解放されていく様子。
受講生同士で仲間として支え合い、絆を深めていく姿。
長らく抱え続けていたものを整理して、新たに進み始める転機の瞬間。

そうした場面は日常生活では出会えない貴重なタイミングで、ドラマチックでした。

トレーナーとしてその場にいられるのは、まるで「映画の名場面をスクリーンの中で見ている」ような感動があったんです。

そうした場が作られるように、僕はトレーナーとして講座の進め方を考え、ワークのデモをして、時には受講生同士のワークをサポートして、
『変化の支援』をしているつもりでした。

「NLPの講座において資格取得に必要な内容を紹介するのがNLPトレーナーとしての仕事。
同時に、
講座における体験を通じて変化をサポートするのがセラピストやコーチとしての役割。」

そんな捉え方をしていたのを覚えています。

NLPを伝える一方で、グループセラピーやグループコーチングをしているような感じですね。

でも結局のところは…。

シンプルに「楽しかった」んですよ。
僕が楽しかった。

貢献だとか、成長の支援だとか、色々な言い方もできますが、
突き詰めると、僕自身の喜びに返ってくるわけです。

自分が満たされる時間だから喜びが大きく、
その精神的報酬が動機づけ要因となって高いヤル気を維持できる。

「好きなことを仕事にする」という意味では理想的な時間だったと言えるかもしれません。

『心理援助』との出会い


僕の場合、それは長続きしませんでした。

心理援助に本気で向き合う機会があったからです。
自分の楽しさを求める余裕はなくなりました。
自分の心を痛める時間が上回るようになりました。
 

「原点」 ずっと自分が嫌いだった


そうなった理由の1つは、自分の心と向き合うことを繰り返したことでしょう。

キッカケではなく、原点のほうです。

僕はずっと自分が嫌いでした。

現在の社会なら自閉症の分類に入る“チョット変わった子”で、いつも皆んなとは違うところにいた記憶があります。
根っからのアウトサイダー気質とでも言いましょうか。

まあ、それでも遊び相手はいましたし、
家庭環境のおかけで人の顔色を伺う技能を高めていた僕は、人から嫌われずに無難にやり過ごすのにも長けていました。

それは裏を返すと、
人を信頼しておらず、深く人と関わることを避け、いつも控え目で我慢して自分を押し殺し、周りに合わせるだけだったということ。

奥底では人気者や正直者を羨ましく思いながら、
輪の中には入らずに、人気者の作る輪の側で遠慮しながら見ているスタイルでした。

どうしたら嫌われないか、どうしたら受け入れてもらえるかを工夫するばかりで、
自分らしさとか素直な気持ちとかを表現することができなかったんです。

  • 勉強ができること
  • 良い子でいること
  • 気を遣えること
  • 優しくすること…

それらが自分を支えていて、

そうすることで人からの承認を得て、
やっと少し自分のことを認められる。

だからあんなにもNLPの時間が楽しかったんでしょう。

トレーナーとして受講生を主役としながらも、自分を受け入れてもらいつつ、しかも優しくしたりもできるんですから。

それどころか、人と深く関われない幼少期〜青年期を過ごしてきた僕にとっては、
NLPの時間は人の心と深く触れ合える貴重な体験をもたらしてくれていたんです。

それは好きになりますよ。
ずっと欠けていたものを満たしてくれる機会だったわけです。

つまり僕は、無自覚なうちに
自分が心理やコミュニケーションに興味を持つようになった原点を『間接的に』癒そうとしていた…
ということです。

 

これが自覚できてからは「なぜ会社員時代の僕が人間関係でやらかしてしまったか?」も理解できました。

人と深く関わるのを恐れながら、でも深い心の繋がりを求めている…、そんなジレンマの表れだったんでしょう。

仕方ないプロセスではあったかもしれません。
でも、やらかしたという結果は変わりません。

自分の愚かさに対する反省がなくなることもありません。

いつまでも僕の中には「心を大切にする」ことへの強い想いが残っていました。

どれだけ自分を癒して、自分を満たしても消えない想い。
それどころか強まっていく感じさえありました。

 

ただその一方で、原点となる自分への気持ちは変わっていきました。

僕は執拗なほどに自分でセラピーのワークをやって、この原点の部分を扱っていきましたから。
その効果は大きかったのを実感します。

NLPの講座の時間を通して『間接的に』原点の気持ちを癒そうとするのではなく、
そのものを『直接的に』扱う。

すると間接的に自分を満たしたい気持ちも自然と消えていきました。
自分の楽しみのために講座をしたい感じがなくなっていったんです。

まあこれは「執拗なほど」にやったからかもしれません。
解消したつもりでも、いくらでも出てくるんですよ。

大物を扱っても、予想外のところからトラウマ的な体験が見つかる。
何気ないところから、細かい“わだかまり”が見つかる。
根本から扱ったはずなのに、枝葉はまだまだ残っている。

ポジティブな思い出だと思ってきたことが、実際には自分を制限していることだって多々ありました。

それでも地道に数千回ぐらいワークをやると、結果は違ってくるようです。
そもそも「自分」に対しての執着がなくなるからですね。

ここまでくると原点のほうは、もう僕を突き動かさなくなりました。
「自分の楽しみのため」という動機がなくなったようです。


それでも、というか
だからこそ、というか…
 

「キッカケ」 心を大切にしたい


あの強い想いのほうは際立っていきました。
「心を大切にする」という気持ちが。

正確には「心に対する関心」と言えそうです。

それは特に『苦しみ』の側面に向いていきました。
芽が伸びて育っていくような感じで大きくなる。

僕はラッキーだったんでしょう。
これが育つ方向にいきました。

でも皆がそうなわけではないようです。

誰にでも原点とキッカケがあったはずです。

心やコミュニケーションの分野に興味が向く原点。
長年抱え続けてきた「自分に足りない何か」を求める原動力。

それと、
大人になってから体験したキッカケの出来事。
実際に一歩を踏み出すことを後押しした、ある日の決心。

これらはあくまで、原動力とスタート地点です。
前に進んでいくほどに遠ざかっていくのも当然です。

長く続ける人は、僕と同じように「楽しさ」に似た充実した時間があったのでしょう。
学びから離れて日常に戻っていった人は、他にもっと大切なことが出てきたのでしょう。

気持ちの向き先は移り変わっていくものなのかもしれません。

僕だってNLPの楽しさに動機づけられながら探究を続けていた可能性もあったはずです。
実際に充実した時間を順調に過ごしていた日々もありました。
キッカケにあった想いを忘れて…。

でも僕には、そのキッカケの種が芽生えるタイミングがあったんです。
忘れかけていた想いを思い出させてくれた、痛い出来事が。

 

あの日のことは忘れることがないでしょう。

 
根本的に違っていた!


心理の技術を探究し、トレーナーとしての実力を高め、人と深く関わるだけの責任を全うできるように、
そんな考えから僕は学びを続けていました。

海外から有名な先生がやってきたらワークショップに参加して、
日本国内でも著名な心理療法家の講座を見つけては参加する。

そんな中、僕が一番お世話になった心理臨床家が、本格的なトレーニングを開催し始めたんです。

まさに「コミュニケーションの達人」というか、魔法使いのような先生でしたから、僕も意気込んで参加しました。

少人数で個別のスーパーバイズを受けながら、ひたすら技術を練習する。
滅多にない機会だったと思います。
僕の専門性の基礎は、間違いなくこの先生に養ってもらいました。
 

それは、そのトレーニング中のことでした。

他の受講生にクライアント役をやってもらって、悩みを聞く実習をしていたんです。
その後でビデオを見ながらスーパーバイズをしてもらう形式です。

ビデオを見ながら振り返っていたとき、先生が一時停止を指示しました。
クライアント役の方が“ある気持ち”を吐露していた瞬間でした。

詳細は避けますが、決して微細な非言語メッセージとかではありません。
むしろハッキリと言葉で気持ちを語っていたぐらいです。

でも僕はそこで、そのメッセージを流しました。

いわゆるNLP的なペーシングはしていましたし、その言葉もバックトラックしていました。

それは技の話。

大事なのは、僕の気持ちが反応していないところなんです。
共感力や想像力の問題です。

上っ面では受け止めた風をしながら、気持ちでは完全に受け流していたんです。
これっぽっちも重要視していなかった。

そこへ先生から、間接的で、でも厳しい直面化の指摘が入りました。

なんていうんでしょう?
「目から鱗」なんて甘いものではなく、
「我に帰る」「目が覚める」ような感じ。

その時点でも僕は、心理のワークやコーチングの技術には自信がありました。
講座開催にしても、個人セッションにしても、経験量がありましたし、ちゃんと結果を出してきた自負もありました。

技術についてだって、今から見ても「そこそこ」だったとは言えます。
どんなケースにも柔軟に対応し、
わだかまりや制限への気づきに導き、
クライアント本人の力で新たな見方が生まれるようにする。

行き当たりばったりながら、結果オーライにまとめる技量はありました。

そして自分は出しゃばらずに、クライアント本人が問題を解決していくプロセスを美しいものだと思っていました。

そうした認識が、とんでもない勘違いだったことに気づいたんです。

ショックでしたよ。
いや、恥ずかしかった。
消えてなくなりたかった。

そして自分の愚かさが悔しくて、泣きました。
どうやっても涙が止まりませんでした。

自惚れとか、技術の甘さとか、そんなことなら大したことではありません。
むしろ足りないことを学び、成長に繋げられます。

違うんですよ。
根本的に違ってたんですよ。

良いと思ってやってきていたことが全部、根本的に違っていた。
少なくとも僕にとっては0点だったんです。

自己成長のサポートは素晴らしい経験で、その価値は揺らぎませんし、
変化のための心理技術は役に立っていたと思います。

でも僕が最初に求めていたのは
「心を大切にする」ことだったんです。

ぜーんぜん大切になんかできてねぇでやんの。

どれだけ人の心を粗雑に扱ってきたことか…。
 

  • どうすれば人が変化するか
  • どうすればセッションが上手くいくか
  • どうすればより本質的な変化が起きるか

そんなことばかり求めていたんです。

『どれだけその人が苦しんでいるか』には微塵も思いを馳せずに!!

本人が頑張る姿だけを見て、勝手に感動してたんですよ。
“無意識を信頼する”なんていう偉人の言葉を引用して、「どうせ何とかなる」ぐらいのお気楽な気持ちでやっていたんです。

目の前の人が自分の力で頑張っている…、その奥にいったいどれだけの苦しみを抱えていたのかなんて、想像しようともしていませんでした。

分かるか、分からないか以前の問題ですよ。
だって、分かろうとさえしていないんだもの。

だから、そのトレーニング中も、

クライアント役の方が本気で自分の人生について、
赤の他人の若造に対して、
正直な気持ちを口に出してくれたとき、

その言葉をサラッと上っ面で聞き流したんです!

それのどこが対人援助か、カウンセリングか。

目の前の人の心を「大切なもの」だとさえ見ていなかったんですよ。

この道に踏み出したキッカケが「人の心を大切にする」だったクセに。
いつの間にか見失っていたんです。

それを痛烈に思い出すことができました。

強い想いの種から芽が出てきたタイミングでした。

心理援助とは相手の心を大切にする実践


一度芽を出したあとは、もう大きくなる一方です。
それ以降の僕は、方向性を大きく変えました。

どうしたら心を大切にできるか?
どうすることが相手のためになるのか?

ようやく関心の方向が相手のほうになったんです。

そして対人援助というもの自体が、そもそもどれだけ無力なものかを実感するほどに、最善を尽くす方向性がハッキリしてきました。

  • 磨くべき技術
  • 鍛えるべき能力
  • 積み重ねていくべき経験

地道な研鑽を続けることにしました。

もう楽しくなんかありません。
探究する対象もありません。
目指すゴールや憧れが他にあるわけでもありません。

ひたすらここで、自分の目指すもの…
「心を大切にする」を実践し続けるのみ。

いつも大変で、いつも難しいものです。

でも『心』を援助できるように、との想いは忘れたくありません。
 

「心理サービス」と「心理援助」は別物


知識や技術、気づきなど「変化」のサポートは、心理分野における専門的なサービスです。

  • 福祉分野でケアプランを立てたり介護をしたりするのと同様。
  • 士業が公的書類を作成したり、コンサルタントがアドバイスしたりするのと同様。
  • 販売員が商品説明したり、医療で診断や治療をしたりするのと同様。
     

なので僕は、そっちを「心理サービス」とか「心理業務」と考えるようにしました。

「心理援助」と呼ぶべきはそこではない、と。

心の苦しみをどう支えるか?
そちらを心理援助として、別物で捉えるようにしたんです。
 

大半のプロは心理援助をしない


くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、
心理援助ではない対人支援を悪く言っているわけではありません。

すべての仕事には価値があります。
上も下もありません。
(社会では対価の差として価値が評価されてしまうのが現状ですが)

あらゆる人間関係の形について、
「心理援助が含まれるか」
と区別しているだけのことです。

むしろ、どんな仕事にも、仕事以外の間柄においても、
心理援助が求められる可能性があります。

そのときに対応できるようになりたければ、トレーニングしかないと思います。
少なくとも僕は、天性でこれができる人を、犬以外で見たことがありません。

そして。

「心理サービス」の技術を探究し続けていた僕だから自信をもって言えます。

このトレーニングは心理の専門技術のものとは完全に別物です。

日本人でもアメリカ人でも、心理臨床家は通常、これをやりません。

できないだけの人、やろうとも思わない人も混ざっているかもしれませんが、プロとして続けるには無理があるはずです。

毎日、大勢のクライアントと接しながら、本気で「心理援助」をしていたら負担が大き過ぎます。
現実的には無理かもしれない。

大半の専門家やプロは「心理サービス」に徹しているようです。
それで構わないし、プロとしての責任は果たしているし、仕事として対価をもらうには充分です。

それが普通。

誰にだって自分の人生があるんですから。
他人のために存在することはできません。

なのに、時々ですが、

自分を顧みずに、他人のために身を差し出せる人がいます。

できるか、できないかではなく、
心の底から「人のために」気持ちが動く場合もあるんです。

それが人間なのかもしれません。

ですから、その意味で
「心理援助」はプロのためのというより、
人間のためのもののような気がします。

ただ、大変ですよ。
 

心理援助は大変です


難しい。
技が高度だとか、知識や経験が必要だとかいうことはありません。
むしろシンプルです。

「自分のために」ではなく「相手のために」という、そのシンプルなことが難しいんです。
誰もが自分のために生きているから当然です。

そして大変です。

負担が大きい。
やることが多い。
激しく消耗します。

その自分にかかる負担の分だけ、相手が楽になっていると信じたいものですが、それすらも保証はありません。

当たり前ですけど、自分にメリットなんてないんですよ。
人のためにやるんだから。

万人向けの講座ではありません

これまで開催しなかった理由


そういうわけで僕はこれまで、心理援助をメインにした講座はやってきませんでした。

ごく少数ですが、物好きな人たちから依頼されて、スーパーバイズや講座をやってきてはいます。

何人かから

  • 「そこまでしないといけないんですか?」
  • 「私には無理です」

と言われたこともあります。

正直なご意見だと思います。

一方で、プロとして多くの苦しむクライアントと接しながら、可能な限りの全力で心理援助の方向に進んでいる人たちもいます。

彼らが無力さで涙するところを何度も見てきました。
彼らを助けられない僕も無力さを痛感するばかりです。

「そこまでしなくてもいいですよ」と無責任に優しくしてあげたい。
そんな個人的な気持ちも僕の中に湧いてきます。

それを言ったところで無力で、
本人は過酷な道を選ぶのだろうと想像する自分もいます。

自分の身近に、関係性の深い相手がいて、
その人が赤の他人のために苦しんでいる…

それでも僕には、僕にとってまったく見ず知らずの人たちが苦しみから救われることを祈りながら、

無力にも、
僕のクライアントである目の前のその人を想いつつ、
専門性として最大限で技術トレーニングを工夫するしかないんです。

僕からしたら、心理援助のトレーニングをすることは、
「トレーニングの時間を通して交流を深められた人…、僕にとって縁が深く、個人的に大切な思い出として刻まれる人が、
他の誰かのために苦しむ量を増やす」
という意味にも捉えられるんです。

そんな人を増やしたいか?と考えると微妙です。

社会の負担の歪みは解消される方向に行くでしょう。
世の中にとっては望ましいと思います。

できる人が増えて欲しいのは社会のため。
だからといって、「社会を良くするために苦しんでください」とは声高に言いにくい。

これはもう、ご本人に委ねるしかありません。

ですから講座を担当する立場でありながら、誰にでも気軽にオススメしようとは思えないんです。
 

「相手のために…」と願う方がいるのなら


今までにも物好きな人たちはいました。

いや、もしかしたら。

その人たちは決して「赤の他人」のために自らの心を痛めているわけではないのかもしれません。

そのような関わり方をする相手のことを「身近で大切な人」だと捉えているのかもしれません。

実際に大切な家族の一員ということもあれば、
身内同然の会社の部下、
心を込めて応援したい生徒や受講生、
不思議な縁で出会うことになったクライアント、患者、お客様ということも…。

誰かと関わる機会があり、その相手のことを「大切」だと捉えれば、
「その人のため」になることができるのかもしれません。

 

だとしたら、そんな大切な誰かがいる方には、お役に立てそうにも思われます。

常に「その人のため」にならなくても、一瞬でも、その姿勢は尊いものでしょう。
誰かのために、と願っている方も少なくはないのかもしれません。

講座開催の提案をいただいたのも、そうした声なき思いの代弁とも受け取れるのではないか…。

それで講座を開催することにしました。

それでも講座にいらっしゃる方へ


真剣な内容ではありますが、
ドンヨリと深刻になるものではありません。
厳しい練習があるわけでもありません。

人として人の深みに触れる喜びや、他者の人生への畏敬を体験する時間になるのではないかとも思います。

もしかしたら、
以前の僕が持っていたような「恐れを知らない安易で無邪気な安心としての“信頼”」とは別物の、
「恐れを知るからこその能動的で勇気ある“信頼”」を感じていただけるかもしれません。

人のために自分の心を痛められる優しい方のために、
僕も講師として、扱っている内容を自分自身が体現できるように頑張ります。


<関連記事>『心理援助者の心構えと技術トレーニング講座』開講によせて①

 


執筆者:日本実践コミュニケーション心理学協会
原田幸治

原田 幸治
日本実践コミュニケーション心理学協会講師

  • 米国NLP™協会NLP™トレーナー™
  • コミュニケーション・コンサルタント
  • HRD Lab代表
  • パラゲート・サンガ主催

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